【映画感想】東京ゴッドファーザーズ~遠回りから生まれた奇跡~
あらすじ
ギンちゃん、ハナちゃん、ミユキ。
新宿で暮らすホームレス3人組の前に、意外なクリスマス・プレゼントがやってきた。ゴミの山の中で生まれたばかりの赤ちゃんを発見したのだ。
勝手に“清子”と命名し、ゴッドファーザー(名づけ親)となった3人は、雪ふる街を、親を探してさまよい歩く。ウラ東京で、人生を生き抜くホームレスたちが、急転する「運命」の中で出遭う<奇跡>とは。
引用元:
以下ネタバレあります
あらすじの通り3人のホームレスが、クリスマスの夜にゴミあさりをしていたら、カバンに入っていた赤ちゃんを発見。
「警察に保護させよう」というギンに対して、ハナは「神様の贈り物」と称し、自分で育てようとする。
その後、「なぜ自分の子を捨てたのか納得のいく答えを聞き出したい」というハナに押される形で親探しが始まった。
親探しの過程で、3人がそれぞれが絆を取り戻していく物語です。
遠回りから生まれた奇跡
実は、この作品に当たってみんなが突っ込むだろう部分「赤ちゃんを警察に渡せばいいのでは?」
その通り!ギンもそう忠言しているし、ハナも深いところではホームレスで赤ん坊を育てるのは不可能だということは分かりきっている。
そして、最後まで見ると「赤ちゃんの親探し」という点では警察に任せるというのが、最短で最適解だというのが分かる。
しかし、自分たちの足で親を探し回ったからこそ彼らは、自分が捨てた絆の大切さに気付いたり、偶然家族との再会を果たしたりなどの奇跡が起こるのだ。
3人組のストーリー上の役割
赤ちゃんを拾い「名付け親」となった3人は壮年の男性のギン、オカマ(女性の服を着て、彼氏と死に別れた男性)のハナ、家出した女子高生ミユキ。
それぞれ、家族や信頼する人の元に戻れない理由があり、ホームレスとなっていた。
3人はクリスマス~元旦まで東京中を練り歩き、その中で様々な人と触れ合い、自分自身と向き合い、物語を大団円へと導いていく。
この3人組は何となく、同じ今敏氏が手掛ける「妄想代理人」の「明るい家族計画」の3人(老年期の男性、ゲイセクシャルの男性、女子児童)を彷彿とさせる気がするが同氏の公式サイトでは特に言及されていない。
ギン
ギンの物語上の役割は、自分と似た境遇の人物との邂逅を経て物語と大団円に導くものだとおもわれる。
元競輪選手。娘が難病であり、その治療費のために八百長に乗ってしまい、その結果、逆に家族を失うこととなる(大嘘)
本当は自転車屋。娘は存命で、看護師をしており親探しの途中で再会・和解している。
競輪賭博のせいで借金をし、妻と娘に合わせる顔がなくホームレスになっていた。
多分一番掘り下げられているキャラ。
彼には明確に対称とされる人物が4人おり、一番描写が多い。
ギンと対称となるキャラ
- 娘の結婚披露宴に向かう途中の自由業
- 行き倒れの老人ホームレス
- 娘が勤務する病院の医師(しかも婚約者)
- 泰男(当初に清子の父親と思われていた人物)
このようになっている。
最初に出会うのは自由業の太田。娘のキヨコの結婚披露宴に向かう途中、雪で立ち往生にあっていたのを3人に助けられる。
娘が同じ名前であり、父親としての心境にどこか哀愁を感じているギンの様子がある。
老人の方は、ミユキが清子とともにヒットマンに連れ去らわれてしまった後に、追いかけようとするハナと意見が分かれ、一人になったときに現れた。
この老人。ギンと身に着けている衣装や持っているカバンの形が同じなのである。
そして、老人は今までの人生の悔いをギンにこぼし、ギンに看取られて亡くなった。
その後、諦めモードだったギンは意地を見せて、突如として現れたホームレス狩りに抗い。結果的に、ハナやミユキ、清子と再会を果たすことになる。
病院の医師については、ギンと顔がそっくりなのである。
そして、ギンが嘘で伝えた経歴をそのまま持っている人物。
この後、ギンは病院内で娘のキヨコと再会して、和解をする。
これら3人と出会い、影響されたギンは泰男の元へたどり着く。
当初、泰男は清子が捨てられていたカバンの写真から父親だと思われていたが、彼の口から妻の幸子がよその赤ちゃんを誘拐していたことが明かされる。
泰男は赤ちゃんを捨て、狂ったように赤ちゃんを探す幸子を放置し、宝くじで得るお金のことしか考えていない。
泰男の姿に、本当に大切なことから目をそらしていた自分を重ねて怒鳴りつけるギン。
その行動がハッピーエンドへの布石となるのだ。
ハナ
ハナは自分を大切にすることに気が付くという課題を達成する。
ハナの情報は
- 親に捨てられた
- 親戚などにもたらい回しにされた
- おかまバーに勤めていたが、客の一言でキレて喧嘩沙汰になってしまい辞めた
- 彼氏がいたが、死に別れている
- 体を壊しており、作中で吐血するシーンがある
といったものだが、おかまバーで客と揉めたシーン以外は、映像ではなく会話で掘り下げられている。
また、自己犠牲が強く、捨てられた清子や両親と不仲なミユキに対して同情的。
そのため、銃を持った男にミユキと清子が攫われたときは危険を顧みず、吐血しながらもアジトに乗り込むという行動をとる。
ギンに対しても、娘に虚勢を張るのを自分が悪役となる形で背中を押す様子が描かれる。
しかし、おかまバーのママのことを頼ることができたり、最終的には治療が受けられそうな描写がされているので、献身が報われたといっていいだろう。
ミユキ
ミユキは母親の愛のカタチを知る。ということが彼女の課題となっていると思われる。
ミユキの中では、父親の存在が大きく、作中でも父親との関係性に焦点が当てられる。
一方、母親はミユキが父の腹を刺しても、それを咎めたり、夫のに寄り添ったりせずに物陰に隠れて目を閉じて祈っているだけという淡泊な描写で、ミユキ自身も母親に関しては多くは語らない。
その代わり、ミユキは他の母親との触れ合いが多いのだ。
不法滞在者の集落で清子に母乳を分けた女性や、そんな危険なところに迎えに来たハナ(これ以降ミユキはハナとおっさん呼びではなく、名前で呼ぶようになる)。
流産をして、落ち込んでいたところに、清子に笑いかけられて衝動的に誘拐をした幸子。
様々な母親の姿を見た経験や、父親からの訴えを通してミユキは愛情というのを理解していく。
父親との和解は作中では描かれなかったが、それを予感させるシーンで映画は終わっている。
奇跡と年末
清子を拾ったのはクリスマスであるが、親探しの期間は初日の出まで続く。
物語の時期をこの季節に選んだのは「家族と過ごすイベントが密集している」というのもあるが、奇跡との関連付けをする意味合いもあるのではないかと思っている。
クリスマス~元旦というのは宗教関連のイベントが盛りだくさんである。
クリスマスというのは、キリストの生誕祭であり、除夜~初詣は歳神様の信仰から来たものである。
実際に、大切なことから目を背けていた3人がラストシーンでは憑き物が落ちていたかのように落ち着いているように思えた。
とはいうものの、事実から目を背けていて待っているだけでは奇跡は起こらない。
ミユキの母が、娘が夫を刺すという惨状から目をそらし、ひたすら祈っていたのと同じになってしまう。
決定的な違いは、清子のために動いたかどうかというものなので、結局は奇跡の鍵になるのは清子の存在の有無なのであるが。
個人的には今敏監督の作品の中で一番勧めやすい
今敏監督の作品は引き込まれる演出、人物の描き方が生々しく大変魅力的である。
一方で、人物の生々しさのあまり、勧めるには人を選ぶ傾向があるかもしれない。
その中でも、この「東京ゴッドファーザーズ」は題材が「家族」であり、コメディでなおかつおめでたいほどのハッピーエンドなのでとってもおススメであったりする。