【映画感想】本音は追い詰められないと言えない ラーヤと龍の王国
メンタルが落ちて、情報を入れるのがとても億劫になる今日この頃。
リハビリがてらに記事の投稿です。
みなさんもこのご時世やら夏バテなど色々とありますが、健康にお気をつけてください。
あらすじ
その昔、この王国は聖なる龍たちに守られ、人々は平和に暮らしていた。
邪悪な魔物に襲われた時、龍たちは自らを犠牲にして王国を守ったが、残された人々は信じる心を失っていった…。
500年もの時が流れ、信じる心を失った王国は、再び魔物に襲われる。
聖なる龍の力が宿るという<龍の石>──その守護者の一族の娘、ラーヤの旅が始まる。遠い昔に姿を消した “最後の龍”の力を蘇らせ、再び王国に平和を取り戻すために…。
テーマは「信じる」
この物語は、主人公のラーヤが龍のシス―や旅先で出会った人々と一緒に「信じる心」を取り戻すストーリーとなっています。
ありがちでは?と思う方もいると思いますが、「信じる」という結論に至るまでに紆余曲折あり、リアルであったので見ごたえはありましたね。
※この先にはネタバレがありますので、自分の目で見てみたい方は回避してください。
略奪から始まる物語
500年前、魔物により滅びの危機に瀕していたが龍により救われた世界。
しかし、龍は魔物による石化から戻らず、世界を救ったという最後の龍「シス―」も姿を消していた。
信じる心を失った人々により王国は5つに分かれ、「龍の石」を所有しているラーヤのハートの国は他の国から妬まれており、ハートの国は龍の石があるから豊かだという誤解を受けていた。
ラーヤの父は「理解し合えば、王国は再び1つになる」という考えをもっており、他の国の民をハートの国に招き交流をする。
しかし、ラーヤが、ファング国の姫「ナマ―リ」を信用し、龍の石を見せたところ、ナマ―リに奪われてしまう。
そこに他の国も簒奪に加わり、石は5つに割れ、4つのかけらはそれぞれ別の国の長に奪われてしまう。
その時に、500年前に世界を滅ぼした魔物「ドルーン」が復活し、人々を襲い石化させてしまう。そして、ラーヤの父も犠牲になってしまった。
こうしてラーヤは人を信じるのを辞め、残った1つの欠片を手に、伝説の龍「シス―」を求めるようになった。
ラーヤの心情変化に説得力があった
こういった経緯の中、2時間という枠でラーヤが人を信じるまでのきちんとした道筋ができていたのが凄いと思う。
しかも、ちゃんと説得力がある裏付けがあるのは凄いと思った。
- ラーヤの父が「人を信じる」ことを行動指針にしていた。
- ラーヤが憧れていたシス―が人を信じることの大切さと説いていた。
- 父親もシス―もラーヤの孤独な6年間を支える程の、影響力のある存在だった。
- シス―が500年前に奇跡を起こせたのは、兄弟の龍を信じられたからという事実があることを知った。
- 当初は利害の一致で集まった仲間たちが、実は同じ痛みを持っていて、同じ動機を共有できた。
という、納得がいく理由をきちんと見せてくれたのでラーヤの心情の変化についていけたと思う。
でも、そこで「信じられてよかったね、めでたしめでたし」で終わらないのがさらに良かった。
ラーヤにとってシス―の奇跡は、その目で見たことじゃなかった。しかし、自分が信じたせいで龍の石が割れて、再び「ドルーン」が現れたことは実際に自分が体験したことだった。
いくら憧れの存在が「大丈夫」と言っても、安心はできない。
見聞きしたものより、自分で体験したものを判断基準にするのは当たり前。
そして、今度はラーヤがシス―の「私がナマ―リと話す」「きっと分かってくれる」という言葉を信じられなくなり、結果シス―を失い、龍の石の輝きが失われる。
という流れは本当に凄かったと思う。
本音は追い込まれないと出せない
クライマックスは、因縁の相手ナマ―リとの決着で、その落としどころも見事だと思う。
ナマ―リは当初から「立場が違えば友達になれたのかも」と言ったり、シス―の出現に喜び、人々の石化が解ける可能性があることに希望を持った描写がある。
観客的にも「きちんと話せば、伝わる下地はきちんとある」ということは十分伝わっていた。
けれど、彼女は国の姫なので個人の感情で動けなかった。
個人的にはラーヤと協力したいという思いはあったけれど、自分が過去にラーヤを裏切ったという負い目と、自分が龍の石を奪ったせいで「ドルーン」が復活し、そのことで国全体が責任を取らされるという懸念もあって動けない状態だった。
彼女が本音を吐露できたのは、自分の負い目と建前のせいでシス―を失い、国が滅びかけ、母親が石化したという窮地に陥ってからだった。
ナマ―リが自分の言葉で話して、ラーヤ達の信頼に応えるまでの流れも、キレイに筋道が立っていたと思う。
不自然なシーンもある
演出としての魅せ方を優先したあまり、不自然なシーンもあるにはあった。
ラーヤが玉座の間にいるナマ―リの元へ行くシーン。
城下町はドルーンに襲われ、建物はところどころ倒壊し、住民は逃げまどっている。
それに目を向けずにまっすぐ歩くラーヤ、無傷の玉座の間には石化した母を呆然と見るナマ―リ。
おかしい!ドルーンには知性があるような描写はなく、無差別に人を襲っている印象があるので、国の長をピンポイントで、宮殿を壊さずに石化させられないと思う。
きっと、ラーヤが逃げまどう人々に目もくれずに、まっすぐとナマ―リの元に行く画と、二人の戦いが進むにつれて倒壊する宮殿という画が欲しかったんだろうなって思った。
何だかんだで見てよかったと思う
とはいうものの、人を信じられなかった主人公が、人をまた信じることができるまでの道筋を納得のいく形で見せてくれたので本当に満足だりする。
こういうのって、過程がしっかりしていないと、心情的に付いていけなくなり一気に冷めてしまうので・・・。
閲覧ありがとうございました。